まほろば日記

2004年1月17日〜 発信 上田まほろばYH
 

2005年10月31日(月)
 
YHを結んで歩く旅パートUA
国宝大法寺三重塔は見返りの塔と言われ、あまりに美しいその姿に思わず振り返ってしまうといわれている。 
安楽寺の三重塔にも近く、文化財の宝庫といわれるゆえんである。 
半径10キロ以内に三重塔が四つもあり(前山寺、信濃国分寺と)、寺社巡りの好きな方には好適地といえる。 
参加の二人は大法寺には過去に来ていたので、その奥にある曹洞宗・萬年山昌寺まで行くことにする。 
大法寺から歩いて10分くらいだが、ここまでは殆ど行く人がない。 
ところが東昌寺の大きな構えとその山門、鐘楼の見事さに圧倒されてしまった。 
この山門の天井には見事な六面の絵がはめ込まれている。麒麟、唐獅子、鳳凰、龍など、狩野派の流れをくむ絵師の仕事のようだ。 
この辺りでは他に類を見ない立派さである。 
また鐘楼は上田市の文化財になっていて、諏訪の宮大工・立川流二代目立川和四郎が建立したといわれる。見事な彫り物が周囲に施され、天井にはこれも龍の墨絵が描かれている。 
周囲の景観も背後の山、前面の景色などが四神思想、風水思想に基づいていると言われている。 
 143号線から、わずか入っただけなのに、杉や高野槙の木立に囲まれ人けもなく、幽玄な雰囲気が漂っている。 
ゾクゾクするような霊気が立ち込めているといおうか、一人では来れない、けれど又来て見たい不思議なところである。   
 

2005年10月30日(日)
 
YHを結んで歩く旅パートU@
小諸YHに行った1回目のあとは、それこそ隣組の田沢温泉ふじやYHまで歩こうと9時に出発。 
今日も、途中まで愛犬”草太”がヒロタ君に連れられて同行。 
別所温泉駅から安楽寺の裏を回って、国宝三重塔の上を通って殿戸峠(とのどとうげ)を越える。 
これが本来は紅葉の最盛期のはずが、今年は遅くて、まだチラホラというところだった。 
この道は、いま工事中なのだが、そのうち快適なウォーキングコースになることだろう。 
峠を越えると青木村になる。 
最初に出てくる家が、東急の創始者五島慶太の生家である。(写真) 
彼は養子に行ったので旧姓は小林という。 
この山影の一帯は、春には福寿草の群生、夏には白い山ゆりが咲き乱れる秘密の場所なのだ。 
 その少し下には記念公園があり、春から秋まで丹精された花が次々に咲き、楽しませてくれる。 
隠れた観光スポット、いや人によってはデートスポットとなっている。   
 

2005年10月29日(土)
 
国際交流
会話学校で知り合ったという、ドイツ人とモンゴル人の女性を案内してきた男性が、「玄関前記念撮影」をというので、1枚パチリ! 
最近見かけなかったオジサンも一緒に。 
懐かしいと思ってくれるでしょうか? 
 
明日はYHを結んで歩く旅2回目で、田沢温泉の富士屋YHまで10キロばかりを歩く。参加予定者は2名。 
安楽寺から峠越えの山道を通って、143号線にぬける。 
途中、東急の創始者”五島慶太”の生家、顕彰公園、そして国宝大法寺三重の塔、東山道を辿って田沢温泉まで。 
最後は富士屋ホテルの露天風呂! 
紅葉もそろそろ始まっていいコースになりそうだ。 
ヘルパーのヒロタくんも草太を連れて途中まで歩くという。 
今日は雨だったが明日は何とかよさそうだ。 
  
 

2005年10月28日(金)
 
フック配り
塩田公民館の文化祭の準備で、午後1時に農協ホールである「モルティ塩田」へ行った。 
フックを配る係なので、各グループごとに封筒に入っているものを、チェックしながら渡していく。 
足りないからもう少し欲しいといってくるところには、またチェックしながら渡す。 
その間に、セロテープがほしい、紙をくれ、マジックを貸してくれ、墨と筆など、いろんなことを言ってくる。 
この係は、他にも2名割り振られていたのに時間になっても来ない。 
殆ど配った頃に出てきた1名も、途中で「ちょっと」と何処かへ行ってしまった。 
チェック表の確認もしないで、回収するときはどうするつもりなんだろう? 
うちのグループでは回収するのは別な人なので、表の予備を作って届けた。 
そして、1時の集合というのに、3時頃になってやってきて、展示の場所が違うと文句を言ってくるグループがある。 
現場に来てから微調整が出てくるのが当たり前で、決められた時間には揃っていて、お互いに納得のいく調整をするのがスジと思うが。いやはや・・・   
 

2005年10月27日(木)
 
ヴィラデストワイナリー
東御市(とうみし)を見下ろす丘陵地に、エッセイストの玉村豊雄さんが住み付いて葡萄を栽培し、ワイナリーを開設している。 
自家製野菜をつかってのレストランも併設している。 
気持ちのいいハーブ園も散策でき、女性の人気スポットになっている。 
 
彼が料理が得意なのは知られているが、先日朝日新聞の「スローライフ」というようなコラムで、 
自分の料理好きの原点は、フランスに留学していた時に、Hの自炊室で作っていた辺りである、と書かれていた。 
五木寛之も橋田寿賀子も、若い時にはYHを使っていたというのを、読んだことがある。 
灰谷健次郎の「天の瞳」にも記述があった。 
体験派は結構いるのに、話題にならんですなぁ・・・ 
 
劇団”貝の火”が最後の5泊目、先週の分を入れると10泊めになる。 
お礼に今晩の夕食代はFreeにして御馳走した。 
例のごとく、とても嬉しがって「ごはん、ごはん」と、感激しながら食べてくれた。男の子が茸ご飯を4杯もお替りしたそうだ。 
  
 

2005年10月26日(水)
 
お花の稽古
ずっと、材料費だけでお花を教えてくれていた先生が、腰を痛めてしまった。 
手術をしたすえ、花の店もやめる事になった。 
ご主人の親の代からの店で、嫁いでからずっと続けてきたものだ。 
ご本人はもちろんがっかりなさったと思うが、月1の「お稽古とお茶飲み」が無くなってしまうのかと、気が気じゃなかった。 
ところが、お稽古だけは続けていただけることとなった。 
お茶の時間は「腰痛体操の説明と実践(?)」で、ひじょうにタメになった。 
それが昨日のことで、時間が無かったのでそのままになっていた花材を、生け直して床の間に置いた。   
 

2005年10月25日(火)
 
YHを結んで歩く旅B
塩田平は初めての方ばかりなので、信州の鎌倉として知られる古寺や、最近設定された「お庭拝見」の庭を覗いたりして歩く。 
40年も前に廃線になったのに、まだそのあとが鮮明に残っている「西丸子線」の後も辿ってみた。 
別所線の下之郷駅から分かれて丸子町まで延びていた線で、オープンデッキの電車が走っていたという話である。 
二ツ木峠を越えて丸子町に入ったところに、かつて別所線を走っていた「丸窓電車」が展示してある。 
電車の計器類を製造していた会社が買って、化粧直しをして資料館にしている。 
それを横目に見て、「はせ川」というお寿司屋に入った。 
ここはランチメニューが安いという評判で、握り6個にミニうどんがついて620円は安い! 
大盛りは8個で740円!!みんな大盛りを食べたのだ!!大満足。 
ここの主人は青森県出身だという。 
「私は秋田だ」というと、「エッ!」なんと一緒に歩いた3人ともが秋田だという。奇遇にびっくり! 
そして最後は北国街道の海野宿。 
今は東御市(とうみし)になったが、この宿場はかなりの時間をかけて整備していて、今回久しぶりに行ったら、道の真ん中の疎水を石垣積みにしたのに続いて、道路を細かい砂利交じりの舗装に変えていた。 
国道への接続道路も大型バスが入れるように新設され、物売りの店も増えて、平日なのにかなりの賑わいを見せていた。   
 

2005年10月24日(月)
 
「貝の火」再度登場!
昨日から再び、劇団”貝の火”がご宿泊。今週も5泊。 
この3人はなぜか「ごはん、ごはん」と、とてもに楽しみにしている人達で、今晩は夕食付き。 
あまりに期待するので、プレッシャーがかかる。 
おまけに、午後英会話から帰って来てから、次々に来客あり、夕食準備が遅くなってしまった。 
手軽にとポークチャップをしたら、粉が悪くててコテコテしてしまい、いくらソースを足しても吸ってしまう。 
仕方が無いからチーズをかけてオーブンで焼いたら、これが思いがけず美味!(笑) かぼちゃと干葡萄のマヨネーズサラダ、大豆とじゃこの揚げ煮、漬物、コーヒーゼリーといった献立。 
暖かい蕎麦の汁も、一口吸っては「ぷはーっ!」とため息をつくので、笑ってしまった。 
 夜になるとかなり寒くなり、炬燵が丁度いい季節になった。 
街燈の調子が悪く、工事用のライトを桜の木に取り付けたら、まるで花見時のような雰囲気になっている。 
 
  
 

2005年10月23日(日)
 
YHを結んで歩くたびA
この秋は暖かいとはいえ、自然の中は確実に秋の印が刻まれている。 
山田神社の水を汲み、山道を登る。 
じきに下りになり、落ち葉もある道をりんご園へと下る。 
りんごは今が採り入れの時期で、収穫した木と未収穫の木とがはっきりわかる。 
さすがりんごはGetできなかったが、この後アケビがいっぱいぶらさがっていて、みんなで採って食べる。 
「こんな美味しいアケビは初めて」と言いながら、「娘にお土産を」と採っていた人もいた。 
そういえばナツメも採って食べたし、やはり”収穫の秋”であった。   
 

2005年10月22日(土)
 
民話フェスティバル
10時40分から多勢さんの語りだというので、掃除をそこそこに出かけた。 
つなぎに漫談のような語りを入れながら、次から次へと話が跳びだして、休む間もないといった感じで、1時間があっという間だった。 
後で聞いたら120〜30は、自分の中に話があると言っていた。これぞプロ! 
面白い話が多かったせいか、じっくり、しみじみというのがなく、落語を聞いたあとの”アア面白かった”と同じにように終ってしまい、何か心残りだった。 
又次の機会には、じっくりの話を聞いてみたいものだ。 
廃校になった木造校舎でやっていたのだが、庭に大釜を据えて、ボランティアで”太郎汁”を作っているおばさん連がいた。 
写真はそろそろ出来上がりそうで、人が集り始めているところ。 
汁は野菜がたんと入った豚汁風、そこに中国から持ち帰った粉を使った大きい団子が入っている。 
(リーダーが2日前に中国友好都市の視察から帰ったばかり) 
不気味なことに、団子を口に入れた途端、おおっ?中にあんこが! 
しかし食べてみたら意外や意外、美味しかった。 
今年のフェスティバルのテーマが「太郎ばなし」なのだ。 
「桃太郎」「金太郎」「ものぐさ太郎」など、太郎が題材になった民話は多い。 
そしてこの塩田平は「竜の子太郎」ゆかりの地。 
なぜ太郎なのか?太郎の検証をしている。   
 

2005年10月21日(金)
 
民話フェスティバル前夜祭
22,23日は民話フェスティバル。 
山形の「ゆうづるの里」の語り部、多勢久美子さんと、大町民話の会(もんぺの会)のメンバー4人が宿泊されている。 
これに合わせて、塩田平民話の会との交流会が行われた。総勢15名ほどになり熱気がこもる。 
多勢さんの人を逸らさない話術に、終始笑い声の絶えない賑やかな集りとなった。 
講師として全国的に忙しく飛び回る日々と聞く。 
天性の声のよさと大きさ、常に人を楽しませようとしながら、本人も面白がっているところ、聞いているとどんどん引き込まれてしまう、凄い人だ。 
余興?として塩田平民話の会から二人、語りを披露した。 
あのやすこさんも。 
「もんぺの会」では40人くらい会員がいて、活動も盛んらしい。 
ここぞ見せ場という情景を、紙粘土人形で作成して、それを展示しながら語りをしている。 
面白いことに、趣味の紙粘土の会と民話の会が合体したものらしい。 
作品は20点ほどにもなっているという。 
今回も何点か持ってきて、ジオラマ風に飾り付けているようだ。 
大町駅構内に拠点を得て活動をしているのだが、この秋には大糸線に民話列車を走らせたのだとか。 
別所線でも可能か? 
  
 

2005年10月20日(木)
 
YHを結んで歩く旅@・・・ウォーキング日和
第1回目の今日は素晴らしい秋日和! 
準備不足のまま、何とかなるかと8時半には出発。 
なにしろ途中には外せない見所がいっぱいある。 
山田神社で湧き水を汲み、中禅寺、龍光院、前山寺のサワリをまわって、旧西丸子線電車の跡を辿り、二ツ木峠で丸窓電車を見て、昼食の寿司屋「はせ川」に着いたのが12時半。(この寿司屋についてはAで詳しく報告) 
そこからちょっとサボって、海野宿まで車の送迎。 
東御市になって観光にも力が入ったのか、舗装道路も砂利混じりに変わって、ウィークデイにもかかわらず、かなりの人出である。 
ここから田中駅迄で本日の予定は終了。 
小諸YHへは、電車とバスを乗り継いで行くことになる。 
今日はだいたい20キロ近く歩いた模様。 
参加者の皆さん、大変お疲れさま!! 
(写真は山田神社で湧き水を汲むところ) 
  
 

2005年10月19日(水)
 
文化祭準備
公民館の文化祭の最後の打ち合わせが、農協文化会館であった。 
英会話では発表も展示もないのだが、ふだん利用させてもらっているので、何かお手伝いをしなければならない。 
仰せつかったのが、パネルにつかうフックを配る係。 
エッ!そんなーと思ったが、昨年は奪い合って混乱したという笑えない事態があったのだそうな。 
文化祭は29,30日に行われるのだが、準備は28日なので、1時間ばかりフック配りをするとしよう。 
 
明日はYHをつないで歩く旅の1回目で、小諸YHに向かって、海野宿辺りまで歩く。参加者は3名。 
歩くのはモチロン私ではなく、お父さんの出番です。 
私は、荷物だけ預かって車で運ぶことにした。 
お天気は良さそうだ。 
  
 

2005年10月18日(火)
 
長野県地名研究所
和田村に「長野県地名研究所」というのがある。 
知る人ぞ知るといった所なのだが、所長は滝沢主税さんという方で、長年地道な研究をしておられた。 
元は上田に住んでおられて、膨大な資料の検索のバイトを、実は私もやったことがある。 
当時はパソコンが無かったから、おおぜいバイトを雇って調べさせていたのだが、ずい分な出費だったろう。 
 江戸、天保期の資料を基礎に、全国の村の合併の歴史をたどる「日本地名分類法」という本を出版されたという記事が新聞に載った。 
6万余の村が合併していく過程を、20年以上かけて調べたものという。 
在野の研究者のなした快挙として、滝沢主税さんが紹介されていた。 
上田市ではあまり重い扱いはされず、和田村で住宅も、その研究所の建物も用意して、迎え入れた様に聞いている。変人という噂もあった。 
今回も和田村が宝くじの助成を受けて、何百部か印刷し、全国の図書館などへ寄贈したという。 
もうかなりなお年と思うが、まだまだ山・峠・河川名など加えたい資料は沢山あると、意欲満々のようだ。   
 

2005年10月17日(月)
 
いつまで咲くの?
10月も半ばというのに、まだ咲き続けている朝顔。 
朝晩はかなり寒くなってきているのだが、日中はまだ汗ばむような暖かさなので、まだ枯れる気配は無い。 
 
ところで、温泉街は松茸人気でかなり混んでいるらしい。 
「どこも満員だよ」と温泉券の精算に来た人に、言われてしまった。 
このところテレビで何回も放送されている。 
「いったい地物がそんなに採れてるの?」ときくと、「そんな筈ないでしょ」とのこと。 
確実なのは森林組合でやっているところだけ。 
 
  
 

2005年10月16日(日)
 
人形劇団
本日から3名で5泊、劇団”貝の火”がご宿泊。 
それも食事なしの、手のかからない有難いお客様である。 
3名で組んで、保育園や幼稚園に行って、人形劇を見せてているのだ。 
来週も5泊の予約が入っている。 
集中的に上田での公演が続くらしい。 
 
20年ぶりに昨日泊ったSさんが、以前の姿からは想像がつかない逞しい男性になっていて、見送りに出たら、プジョーなんていう車に乗っている。 
ちょっと操作すると、天井と後窓が2つに折れて後の荷物入れに格納され、横の窓もそっくりドアの下に入って、オープンカーになってしまう。 
そのままブブーと行ってしまった。 
可愛らしくおとなしかった10代の頃を思い出して、おかしかった。 
 
  
 

2005年10月15日(土)
 
毎日が日曜日
仕事をリタイヤした私と同年輩の男性宿泊者。 
今が青春と、ハーレーに乗っておでまし。 
(880ccに1200ccのエンジン搭載したもの) 
定年後の趣味はバイクとテニスと登山。 
昨日は四阿山へ登って来たという。 
紅葉がちょうど良かったそうだ。 
奥さんとは趣味が違うので、それぞれで楽しんでいるのだという。 
一昨日のテレビで、退職の日に離婚を申し込まれる夫の話を、渡哲也と松阪慶子がリアルに演じていたが、その話で大いに盛り上がってしまった。 
「親戚が仲人なもんで、年に何回かは夫婦らしく演じているけど、普段はそれぞれ好きなことしてるんだぁ」 
「この年になればどこも同じようなもんだろ?」 
「いえいえ、毎晩飲みながら、話しても話しても話が尽きないっていう夫婦もある。」 
「家事はそのままでいいから、ともかく自分が家にいる時は、傍にいて欲しいっていう旦那さんもいる」 
友人のあれこれを思い浮かべながら、そんな話で応じたのでした。 
60代の夫婦のありかたを、何やかやとおしゃべりして面白かった。   
 

2005年10月14日(金)
 
コスモスと紅葉
信州の秋はコスモスとともにやってきて、紅葉を迎えて最盛期となる。 
そんな流れの中に、あちこちのコスモスが最後の賑わいを見せている。 
紅葉も、今は2000メートル付近まで下がってきているようだ。 
平年比で1週間くらいは遅れているようだが、10月下旬にはいつもにように周辺が変わってきて、11月になると見ごろになってくると思われる。 
このごろの週末は天気が悪いのが心配で、今日も雨模様である。   
 

2005年10月13日(木)
 
屋根裏整理
取りあえずと、次々に運び入れていた物品が溢れかえって、足の踏み場もない状態に陥っている”屋根裏部屋”。 
早く整理しなくてはと思いながら、なかなか手が付けられずにいた。 
その整理に、いよいよ取り掛かった。 
夏は暑くてサウナ状態、冬は凍りつくような寒さ、今頃が丁度いい整理日和。 
物品の殆どは私の古着物関係のもの。 
端切れもパッチワークやアップリケに使えるかと棄てきれない。 
我ながら決断力の無さに落ち込んでしまった。 
とても一日では終りそうにない。 
 
 花屋に珍しい赤の「大文字草」が売られていた。   
 

2005年10月12日(水)
 
お散歩お散歩うれしいな〜♪
すっかり、お散歩係になってしまったヘルパーのヒロタクン。 
かなり遠くまで連れて行ってくれるので、草太も大喜び。 
野倉や独鈷の湯あたりまで遠出するらしい。 
私と二人でいても、ヒロタクンの方に向かって、甘えて吠えている。 
このところ涼しくなったので、元気百倍! 
ぐいぐい引っ張っていく。   
 

2005年10月11日(火)
 
細工小物
先日、伊豆の「青い風YH」さんから、どっさりミカンが送られてきた。 
忙しい中で畑もやっていて、サツマイモとサトイモも。 
それと、手先が器用なかたでパッチワークも得意なのだが、最近は吊し雛飾りの細工物もやっていて、可愛い小物も入っていた。 
ミカンは傑作!実の部分がすっぽりと取れる。 
  
 

2005年10月10日(月)
 
連休の終わり
10月10日は晴の特異日と聞いていたけれど、今日は秋晴れとは程遠い曇り空。 
連休の最後で、皆早めにどんどん出発していく。 
バイクの後に彼女を乗せて出て行く、カップルを見送りながら、「あんなことしてみたいよなぁ・・・」とつぶやく声が。 
暑くもなく寒くもなく、ツーリングには最適な季節だ。 
杉林のむこうの、桜の葉が色づき始めた。 
紅葉の見ごろも、もうすぐだろう。 
 
午後はたっぷりの昼寝。 
今晩の宿泊者は男性2名のみ。 
 
 
  
 

2005年10月9日(日)
 
秋刀魚が豊漁!
佐藤春夫かなんかのうたに、男が一人夕餉に秋刀魚を食らうというのがあったけれど、今日は大勢で賑やかに秋刀魚をイタダキマシタ。 
昔馴染みのホステラーさんのご主人が、漁師さん。 
それも遠洋漁業に従事していて、時々鮭だの秋刀魚だのをドーンと送ってくれる。 
その数50匹ほど、ピカピカに光っている。 
北海道沖で採ってすぐ、氷だけ入れてそのまま送ってくれたものだ。 
とても新鮮で臭みもなく、塩焼きとサシミで、美味しくいただきました。ごちそうさまー。 
一部冷凍にし、残りは筒切りにして、生姜をきかせて醤油煮にした。 
今年は大型で油がのっているうえに、豊漁⇒安値ということで、漁師さんにとっては頭の痛い話のようだが、庶民には嬉しいかぎり。 
  
 

2005年10月8日(土)
 
やすこさんの民話語りU
やすこさんの民話語りが好評だったので、またお願いしてみたら快く「勉強になるからやらせていただきます」と言って来てくださった。 
民話が気に入って又来てくれた親子もいて、楽しい夜になった。 
少し時間があったので、余談としてやすこさんの生い立ちなど語ってくれた。 
父親は明治20年代母親は30年代の生まれで、自分が生まれた時は、ひいお婆さんがいて、それが江戸時代の生まれだったとか。はるか彼方と思っていた江戸時代がずい分身近に感じられる。 
そのひいばあさんに可愛がられて育ったのだという、民話を生活の一部として聞きながら・・・ 
成長した後、山の奥に育ったものだから、どうしてもで暮らしたいと、上田に嫁いできたものという。 
ところが、仲人が○○組というようなその筋の人で(夫の親友という縁で)、それにまつわる悲喜こもごもの事件に遭遇した。心強かったり、迷惑(?)だったり。 
その母親は「うちの息子のような者を、よく仲人になんかしてくれた」と涙を流したという。 
そして、息子に”どうかまともになって欲しい”と書置きして自死したのだそうな。 
測るに余りある母親の心情にしんみり。 
まるで小説のようだけれど、昔の母親は強かった! 
それで、その息子は足を洗ったかというと、とんでもない。 
「この世界でいっぱしの者になってやる!」といって、その通りにエラクなったのだそうだ。 
 かんじんの民話も勿論面白かった。 
内容もさることながら、こういう語りは、語る人の人柄によるものだとつくづく思う。 
 
そして、会員外でお泊りの年配の男性も、「初めてYHというのを利用したがこんな風な所なら、また使いたい」と会員になってくれた。 
  
 

2005年10月7日(金)
 
リフォーム情報交換会
着物リフォームをしている友人が2人来て、情報交換。 
人から頼まれて縫っている人たちなので、新作を持ってきて披露してくれた。 
夏の間殆ど何も作っていなかった私は、情報をいただくだけなので、昼食を作って御もてなしした。 
材料を売っている店のこと、展示会の情報、縫い方のテクニックなど好きなことを思う存分おしゃべりできて、満足。 
夕方から雨が降り始めている。 
明日と明後日は忙しくなりそうだが、今日は宿泊者1名のみ。 
ゆっくりと過ごす。 
  
 

2005年10月6日(木)
 
YHを結んで歩く旅
長野県YH協会創立50周年記念 
「YHを結んで歩く」イベントが始まった。 
2日にはあずみのYHで、6名参加で行われたという。 
まほろばYHでは20日と30日に予定している。 
  ●第1回 19日宿泊で20日に歩く 
       (まほろば⇒小諸YH) 
    歩くのは海野宿(田中駅)まで、 約18キロ 
     上田交通西丸子線跡や巴御前の墓、 
     丸窓電車資料館、海野宿の町並みなど見所満載 
  ●第2回 29日宿泊で30日に歩く 
       (まほろば⇒田沢温泉富士屋YH)約15キロ 
     安楽寺三重の塔から峠越え、五島慶太の生家、 
     大法寺三重の塔、最後は温泉で締めくくり 
                  
料金は大人6000円 中学生以下5000円(1泊2食、保険、記念品代、資料代含む) 
記念品のヤッケの見本が届いた。 
白、黄色、ブルー、紺の4種類で、サイズはM、L、LLの3種。 
ヤッケだけ欲しい人には2000円(送料込み)で販売もする。 
  
 

2005年10月5日(水)
 
和布のパッチワーク展
池田町立美術館で、藍染など和布を使ったタペストリーの展示があった。 
あいにくの雨で、山は上半分が雲に隠れていたが、下のほうの安曇野の広がりはよく見えていた。 
「うわーっ、感激!!素晴らしいところだねぇー」と連れて行った70過ぎのオバサマが大感激。 
この美術館は立地がよく建物もいいのだが、収蔵品はそれほどのものがなく、あまり来ることはないのだが、今日はパッチワークということでおおぜいの人が訪れていた。 
以前ビックハットであったパッチワーク展は、それはそれは凄くて外国からのものもあり、テクニックも凝りに凝って、見ているほうが疲れてしまうほどだった。 
今回は、ほどほどの作品でよかった。 
蓮の生えた沼で泥鰌を捕まえる鷺を、ボロ布を上手に使って表現した男性の作品が心に残った。 
庭の木の一部が作り物のように見事な色に紅葉していた。 
ラベンダーも咲き残っていて、あたりにいい香りを漂わせていた。   
 

2005年10月4日(火)
 
池上百竹亭
信大病院で検査があるという姉を乗せて、松本まで行った。 
11時過ぎに着いてから、午後の検査終了まで3時間以上あるので、前から気になっていた「池上百竹亭」のお庭を見に入った。 
松本城の北側の道路沿いに、由緒ありそうな佇まいの和風の邸宅がある。 
さるお金持ちの別邸だったのを、市で買い取って整備して、去年あたりから開放しているものだ。 
樹木中心のさっぱりした清清しい庭で、数奇屋風の家と茶室が設けられてる。 
持ち主は文人との交流もあった方で、萩原井泉水の句碑も建てられている。 
毎日曜日には、抹茶席があるそうだが(500円)、今日は母屋を使って会議をしているグループがあるのみ。 
すっきりしたいいお庭で、またゆっくり訪れてみたいと思う。   
 

2005年10月3日(月)
 
英会話教室の危機
塩田公民館で月2回やっている英会話教室。 
私が入会してからも、もう何年にもなるが、それ以前から何年も続いていたものだ。 
生徒の入れ替わりも激しいが、先生も何人も代わっている。 
今はスコットというオーストラリアの男性で、人柄がとてもいい。 
適当にお茶を濁して時間を稼いだり、日本人を利用してやろうとといった厭らしさが全然ない。 
日本人的感覚を持っていて、信頼できる。 
現在は生徒が4人になってしまって(そのうち一人は休み中)、廃止の危機に陥っている。 
先生が良い先生なので終らせたくない。 
しかし、あの冬季オリンピックのあった当時は英会話ブームだった。 
英会話を勉強したい人は沢山いた。 
今は・・・いない。 
 10月29,30日に塩田公民館の文化祭がある。 
その時に募集のパンフレットを配っていい、と公民館の人がいう。 
小中学生の発表もあるので、若いお母さん達もくるので、チャンスかもしれない。 
こういう時、外国人が配って、ちょっとしたパフォーマンスをするといいんだがなぁと思いながら、言えずにいたら、彼が「僕が手伝うよ」と言ってくれた。 
あとはパンフレットの作成だけ。   
 

2005年10月2日(日)
 
餅屋伝助
上田原の裏通りの分かりにくいところに、「餅屋伝助」という和菓子屋がある。 
かなり美味しいのだが、買いにくかった。 
それが上田駅の構内に出店があって、買えるようになった。 
宿泊者の方がお土産に買ってきてくれたこの御餅、皮は大福とは違ったモチモチ感で、中はシュークリームのような餡、今まで食べたことが無いような食感が後を引く。 
上田の名物になりそう・・・ 
 
  
 

2005年10月1日(土)
 
雁と雁の子
無言館館主の窪島誠一郎さんは、水上勉さんの息子さんである。 
35年も判らずにいて巡り合った、数奇な運命の人として、当時テレビなどで報道された。 
その辺のいきさつは自身も何冊かの本で書いている。 
そして、全然関係のないところで生きてきたにもかかわらず、今は同じように物を書く仕事をしている。 
ちょっと違うのは、窪島さんが非常に事業家としても長けているという点。 
水商売をやっても成功し、画商をしてもそれなりきの仕事をし、難しいといわれる美術館経営も上手にやっている。 
東京の明大前で「キッド・アイラックホール」という画廊喫茶兼小ホールも経営していて、そこの近くに住んでいるホステラーの方がよく行っているという。 
そして新刊がでると買って送ってくれる。 
今回「雁と雁の子」という本をいただいた。 
棄てられた子としての父への愛憎、出会ってからの親子の情愛の構築、臨終の頃のことなど書かれていて興味深い。 
有名な作家だったことで受けた恩恵はかなりのものと思うが、反面、父は父、自分は自分だという自我の確立に苦しんだようだ。 
何をしても水上勉のオーラに吸い込まれてしまう。 
 大きなものが無くなったこれからが勝負なのだろう。 
生まれ故郷の若狭で、雁の寺にちなんで、「帰雁の集い」として水上さんを偲ぶ会がもたれたという。   
2005年 10月
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10月 31日(月) YHを結んで歩く旅パートUA
10月 30日(日) YHを結んで歩く旅パートU@
10月 29日(土) 国際交流
10月 28日(金) フック配り
10月 27日(木) ヴィラデストワイナリー
10月 26日(水) お花の稽古
10月 25日(火) YHを結んで歩く旅B




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