まほろば日記

2004年1月17日〜 発信 上田まほろばYH
 

2005年12月31日(土)
 
締め括りは風邪
とうとう風邪を引いてしまった。 
少し前に泊まったホステラーさんが、ティッシュの箱を抱え込んで、ひっきりなしに鼻をかんでいた。 
うつるんじゃないかなと思っていたら、案のじょう律儀にいただいてしまった。 
29日の夜からひどくなって昨日30日は熱も出て一日中寝ていた。 
今日昼頃になってやっと起き出したが、夕食の用意までは出来ない。 
お父さんとヒロタ君が鍋料理で何とか間に合わせてくれた。今年は料金アップもしてなかったので、助かった。 
起きてきたら、素敵な花籠とビーズのワンちゃんが待っていた。 
お心遣いありがとうございます、元気が出ます。 
 
日記を読んでくださった皆様、一年のお付合いありがとうございました。 
今年は私個人は天中殺のような年でした。来年は良い年になって、みなさまの元気が出るようなお話を発信できればと思っています。 
  
 

2005年12月30日(金)
 
煙が昇れない?
冬になると時々こんな現象が見られる。塩田西小学校の向こうの畑でゴミなどを燃やしている煙が立ち昇っていた。ところがその煙がある一定のところから上には昇れないで横に広がっているのである。 
ん?何で?と最初は思ったのだが、これは塩田平のような盆地に起きやすい現象のようだ。 
つまり夜になって冷えた空気が地表を覆うと、盆地の上には冷気が漂っていて、周りを山々に囲まれているので移動できないでいる。つまり冷気が盆地に蓋をしている状態なのだ。 
だから煙が上にあがっていけなくて横に流れるということらしい。 
朝のうちにしばらくこんな現象が続いた後、地表が暖かくなってくると全体に空気が上昇し始めて冷気の蓋がなくなり、煙は昇っていけるというわけである。(た)   
 

2005年12月29日(木)
 
松の木の伐採
数年前に中止したはずの、松くい虫による松枯れ病対策の伐採が行われていた。 
草太の散歩コースの途中、八木沢の墓地のなかである。 
知り合いのお墓のすぐ傍なので聞いてみると、何本か枯れはじめたので依頼したようだった。 
トラック2台で来た某公的機関の若者3名が運転席でマンガ本を読んでいる。 
寒いのでなかなか仕事にかかれないらしい。 
草太の散歩は大体8時半から9時頃に家を出ているので、お墓に来るときは9時から9時半頃である。それでも若い人のエンジンはかからない。 
それでも数日、一日ごとに切り倒した松ノ木の山はその数を増やしていった。 
今日29日はもう若者の姿は無かった。 
そうか、昨日で仕事終いかと気がついた。ちゃんと計算して今年の最後の仕事というわけで、昨日終るように組んであったらしい。 
(写真は伐採した松の木を山にしてビニールをかけて殺虫剤を注入した後の 
姿) 
伐採したあと、ビニールをかけられた山は時々見かけるが、始末している様子は無い。朽ちるに任せているということか。(た)   
 

2005年12月28日(水)
 
年賀状書き終る
年賀状書きがどうにか終りになりそうだ。 
失敗作が何枚も出来て、郵便局で5円の手数料で交換してもらったらしい。 
あとは蔵書票の仲間のために、版画かステンシルのものを10枚くらい作るのが、私のお仕事。 
年末は日がたつのが早い。 
あまりに寒いので大掃除はパス、日常の掃除だけで済ますことにした。 
 
今日からボツボツお客様が入って、お正月過ぎまで続く。 
前山寺近くの男子高校生が、自転車で泊まりに来た。 
アレルギーで肉、魚(鮭)、玉葱がダメというので、何を作ったらいいかと食事の用意に苦労した。鱈と茸のホイル焼、揚げ出し豆腐、サツマイモとりんごのサラダ、大根なます、パンプキンスープなど。 
そのうえ少量しか食べないで、残ってきた。デザートもいらないという。 
それなのに、いい体格をしているので、何を食べて暮らしているか後で訊ねてみたい。 
青年パスで入会してくれたので、これからたくさんホステリングをしてくれることだろう。   
 

2005年12月27日(火)
 
御神渡り?
たまたま通った塩田平の塩吹池で、ややっ!御神渡り(おみわたり)! 
と勢い込んだのは誤りで、たまたま雪の積もった湖面に水の流れか何かで雪の積もらないところが帯状になっていたのだった。 
本来は全面結氷した湖面の氷が、周りからの圧力でせり上がる現象である。 
これが帯状に続くので神が通った道筋といわれている。 
諏訪湖の御神渡りが有名である。 
今年は寒いので本物の御神渡りもじき見られそうである。 
遠く浅間の噴煙も望める。(た)   
 

2005年12月26日(月)
 
上品なご婦人方
お花の稽古があった。お正月用の松、梅、菊、千両を使った投げ入れ。 
新年というあらたまった床の花なので、小細工をせずすっきりと長くいけるということだった。 
終ってから今年最後なので、イタリアンレストランでお食事をした。 
上田西高の正門ちかくの「ウィンピー」という店。 
前菜2種、パスタ、デザート、飲み物で1480円。 
これはお得、そして味もよかった。 
しかし、前に下見に来た時は、たっぷりあったパスタが、今日はエエッ?というくらいの少量。上品なご婦人方と見えたのだろうと解釈したが、実は上品でない私たちは、もう一品ずつパスタを追加。 
料金も追加になったが、これで満足、満腹になりました。 
このパスタの量のちょっとした変化が、実は命取りになりかねない。 
おばさんの口コミは恐いですぞー。 
わずか30gぐらいケチっただけでお客を逃す。   
 

2005年12月25日(日)
 
語るに足る、ささやかな人生
新聞の書評でみて面白そうだったので、図書館に注文して購入してもらった本。作者〈駒沢敏器〉NHK出版。 
アメリカのスモールタウン、人口3千人以下の小さな町だけを辿って、東海岸から西海岸まで車で旅行したルポだ。 
アメリカという国は、強くて傲慢で、犯罪は日常茶飯事というイメージで、今まで一度も行ってみたいと思わなかった。 
しかし、このスモールタウンには古きよきアメリカが残っているようだ。 
ひとりひとりがその町の構成に参加し、自分として生きる手ごたえを感じ、誇りを持って生きている。 
家庭が機能しモラルも生きている。 
一方同じスモールタウンでも、経済効果をあげようと、工場や学校を誘致したところが、一様にギクシャクしたつまらない町になり下がっているという。 
 視点が的確で文章がうまくて、描かれた町の辻に立っているような気にさせてくれる。 
この本を読んで初めて、アメリカへ行って見たいという気になった。   
 

2005年12月24日(土)
 
ささやかにハッピークリスマス!
雪に閉じ込められていると、街の賑わいがわからない。 
世の中クリスマスで欣喜雀躍してるんかいな? 
と思いつつ・・・家にストックしてあるものを使って料理する。 
定番鳥のから揚げ、ほうれん草バターいため、サツマイモとりんごのサラダ、中華ちまき、大豆とじゃこの揚げ煮、チョコレートケーキ、それに何は無くとも野沢菜漬と大根漬。 
男性1名女性2名の宿泊者と我ら夫婦と5人でワインを飲みながら、”メリークリスマス!!” 
みな陽気な人ばかりで楽しく話がはずむ。 
 
じつは、開所以来毎日記入していた「まほろば帳」というノートがある。このところ時々しか書かれていない。 
以前は「どうぞ記念にお書きください」などと言っていたのだが、ある頃からホステラーの肌合いが微妙に違ってきて、そういう風に言うことが強制に聞こえるのではないかと感じられてきた。 
それでここ2年くらいは、気の向いた人が書けばいいということにしていた。 
しかし、自分では書かないのに、次に来た時は必ずノートを開いてみている。 
私自身も昨日とは言わないが、1昨日のことも忘れてしまうような頭になってきて、これは記録として書いていかなければという気になってきた。 
本日から書きます」と宣言したのが昨日のこと。 
今日も書いてもらった。 
  
 

2005年12月23日(金)
 
年賀状印刷
去年は私が苦労しながら年賀状印刷をしたのだが、その時「大したこと無いじゃない」と言い放った夫。 
来年はぜったいやるもんかと、その時に決心した。 
じっと我慢をしていたのだが、なかなか取り掛かろうとしないので、しびれをきらして、昨日住所録だけ整理したのだ。 
そして今日、言い合いをしながら宛名だけ印刷してもらった。 
50%完了。 
 
 山形から送られてきた”ラ・フランス”。 
食べごろの見極めが難しいのだが、やっといけそうになってきた。   
 

2005年12月22日(木)
 
住所録の整理
延ばし延ばししていた住所録の整理に取り掛かった。 
パソコンの中のデータと普通のファイルと照らし合わせたり、住所変更や喪中のハガキをを確認したり、午後から始めたら夜中までかかってしまった。 
この時期は毎年年賀状に振り回されて、疲れてしまう。 
一年一遍でも消息が知れると楽しいもので、もらうと嬉しいくせに、自分が書くときは”この世にこれの無かりせば・・・”と思ってしまう。 
午後のいっとき雪が凄い勢いで降ってきた。 
新潟北陸方面では停電などの被害が出始めているらしい。 
 
今日は冬至。 
生島足島神社の西の鳥居の真ん中に陽が沈むとのことで、天気が良ければ見れたのだが。昔は太陽の運行に合わせて、生活がまわっていたのだということがよくわかる。 
畳の目一つづつとはいうが、これから日が長くなっていくと思うと気持ちが明るくなる。   
 

2005年12月21日(水)
 
クロカンスキー調査
以前から気になっていた初心者コース候補の下見に行った。場所は国道143号線の青木峠。 
明神トンネルという短いトンネルを抜けると青木村から築北村に入る。すぐ右に林道の入り口がある。 
かなり広い入り口なので車を置ける。 
ここからスキーを履いて歩く。連れてきた草太が勢いよく走っていく。久しぶりの開放感を味わっているようだ。 
この林道は丸山という小さな山を一周するように地図上に記されているのでコースとしては都合がよい。 
道も舗装はしていないようだがガードレールがついたりして立派なものだ。 
ただ思ったより雪が少ないのが意外だった。10センチくらいの積雪で、石ころに当たるところもあるので要注意。 
道はゆるい登りで進み、初心者にはうってつけのコースである。 
途中で帰路も確認してからさらに進み、展望のよいところまで行って帰ってくる。 
周遊コースとなる帰路は、あまり使っていない道のようで少し草が出ていて、傾斜もきつく初心者には難しいような下り道だった。初心者は同じ道を帰ってくると良さそうだ。 
途中で展望が開けるところがあり、曇っていたので見えなかったが北アルプスが見渡せるような感じである。 
まほろばから30分で行けるので、半日の初心者練習コースに加えるといいと思った。(た)   
 

2005年12月20日(火)
 
円卓会議?
昨日の午後から天気が良くなり夕方には快晴であった。 
これは冷えるぞと思っていたら、案の定今朝はマイナス10度まで下がってしまった。 
山田池も一面に氷が張り、僅かに残った水面が丸い円になっていて、その縁に当たるところに鴨たちが集って円を描いていた。 
何をしているわけでもないのだろうが、こんなに寒いと氷が張って潜れなくなるなあとか、餌はどうして見つけようかとか相談していたのかもしれない。(た) 
 
これが鴨の陣といって、俳句の季語になっているものですわ。 
見張り役もちゃんといて、敵が来るとぱーっと逃げる手はずになっている。 
その他大勢は殆どいい機嫌で寝ているのです。(ふ) 
  
 

2005年12月19日(月)
 
子ども達からのお土産
今年も何度か保育園や小学校に民話の語りに行った。 
まだまだそんなに出来ないのに需要が多くて困るほどなのである。 
今日は雪降る中、東塩田保育園に行った。年長児のクラスと年中児のクラスと2クラスに二話ずつ語った。 
3人で交代で約30分ほど。これくらいが子どもの集中力の限度という。毎年行っているので園長先生も心得たもの。 
でも子どもたちは真剣そのもの、熱心に聞いてくれましたよ。 
10時30分から語って11時には終わり、さて帰ろうかと思ったらお昼をどうぞといわれてびっくり! 
「子供と同じものですが」と事務室に用意してくれて、園長先生と一緒にいただいてきた。サイコロ型の鮭の切り身が入ったけんちん汁が美味しかった。 
そして、なんとお土産までも! 
何もお礼ができなくてと言って差し出されたのは、子どもたちと先生が協力して作ったという来年のカレンダーでした!! 
折り紙でその月にちなんだ物を折って貼った可愛い作品。 
ちゃんと12ヶ月ありましたよ。当たり前か。ハハハハ(た)   
 

2005年12月18日(日)
 
大雪警報
昨日今日と北信を中心に大雪警報が出ている。 
その割にこの辺りでは、積もってはいないのだが、寒さは厳しい。 
飯山、野沢温泉では積雪180cmというニュースが流れている。 
スキー場では喜んでいるらしい。 
この頃は、団塊の世代を中心に中高年をターゲットにして、リフト券の割引やスノーシューのハイキングのガイドなど、誘客に取り組んでいて好評だという。 
 クロスカントリースキーの問い合わせもボツボツあって、 
1月3日には行くことになったが、この分ではどこへ行っても雪はありそうだ。 
下見に行くといっているが・・・ 
 
この寒さの中、ホステラーの菊チャンは歩いて山田神社の水汲みに行った。 
東京の水はまずいと言って、いつもペットボトルを10本くらい持ってきて、汲んで帰るのだ。   
 

2005年12月17日(土)
 
薪ストーブが登場!!
3年前頃まで使っていた薪ストーブを設置した。といっても良くあるような北欧風の立派なものではなく、昔から一般的によく使っていた時計型といわれる鉄板製のものである。 
私の子どもの頃に自宅でも使っていたもので冬は居間の中心に据えられた。 
この上でお湯を沸かしたり、釜をはめ込んでご飯を焚いたり、鍋を載せて煮物を作ったりした。 
魚を焼くのはさすがに別の七輪を使ったが、他は全部このストーブで料理したような気がする。 
炬燵もあったが朝晩はこの薪ストーブが主役であった。 
薪が良く燃えるとストーブの横が真っ赤になるほどで、その輻射熱ですぐ暖かくなり、近くには寄れないほどに熱くなるのだった。 
煙突を立てるのが一人では大変で苦労したが、昼過ぎにやっと設置できた。 
さっそくテスト。2年余り棚の上に置いてあった薪だったので、いやあよく燃えること、燃えること。あっという間に部屋が暖かくなり、3度だった10畳と6畳の部屋の温度が30分足らずで10度になった。 
寒くてなかなか自宅には足が向かなかったのだが、これからは早く行ってストーブを焚くことが楽しみになる。(た)   
 

2005年12月16日(金)
 
冬仕舞
野沢菜の畑の後始末をしようと思っていたら、姉が耕運機で起してしまったという。 
かわりに柿の木の枝打ちを頼まれて、お父さんが出かけた。 
私は途中になっていた縫い物を仕上げる。(ブラウス2枚、ベスト1枚) 
他人の物だと神経を使って大変で、少し後悔。 
 
雪が殆ど消えたので、久しぶりに車で出かけた。 
クリスマスカードを送りたいところがあったので、購入。 
花屋の店頭で、300円で買ったカランコエの鉢植えが咲き始めた。 
 
  
 

2005年12月15日(木)
 
その後の山田池
11月の初めに水を入れ始めた山田池の様子である。 
草太の散歩コースなので毎日のように見ているのだが、なかなか水がいっぱいにならない。 
この分ではあと1ヶ月たってもいっぱいになりそうもない。 
昨日辺りから水面には少しずつ氷が張り始めた。(左上) 
雲の切れ間から日が差し込んで不思議な光景だった。 
11月に水を入れ始めたときに、表題に「たんすい式」と入れたかった。 
このたんすいという意味は水をためるということなのだが、肝心の漢字が出てこない。これは違ったかなと思って家にある辞典の全てを探し回ったが見つからない。 
私が知ったのは、もう30年も前のこと、菅平にいる頃にダムが完成して新聞記事になって、その表題に「湛水式」という漢字が出たのであった。(一文字ごとに探すと出るらしい) 
その頃にも読めなくて調べたことがあってよく覚えているのだが、今は使われていないということか。 
どなたかご存知の方、教えていただければ嬉しい。(た)   
 

2005年12月14日(水)
 
軽井沢あれこれ
軽井沢のホテルで、俳句の倉田紘文氏の「旅と俳句」という講演があり、出かけた。 
前から、軽井沢のイルミネーションがきれいだということを聞いていたので、合わせて見てこようという目論みであった。 
講演は午後1時半からで、早く行かないと座れなくなるとあせって行ったら、予想に反して聴講者は30人ばかり。おかげでゆっくりと身近に話を聞けた。 
倉田先生は”蕗”という結社を主宰していて、NHKでも選者をしたことがある。わざわざ九州からみえたのだ。 
 西行、芭蕉から始まって藤村、牧水、山頭火あたりまで、旅にあって詩想が膨らんで良い詩歌が生まれている。 
そして、その背景には必ず女性がからんでいる。 
自然と女性というのが、創造の源らしい。 
3時半には終り、暗くなるには間があるので、夫の恩師の家が近かったのでお寄りした。田中先生といって、あの田中知事の父上である。 
奥さん(つまり母上)も70代になっておられるが、とてもしっかりした方で、政治に関してもきちんとした意見を持っている。この母親あっての知事だなとわかる。 
 
この頃は5時過ぎると、とたんに暗くなる。お宅を辞してイルミネーションめぐりをした。一番期待した雲場の池近くの恵シャーレーが見つからず、矢ヶ崎公園と旧道のロータリーを回った。 
ロータリーのデコレーションが素敵で、特に箱庭のように家並を作って、その小さな家々に灯りがともり、そこに雪が降ってくる様は、あの”クリスマス・キャロル”そのもの。 
物語の中に吸い込まれていくようだった。 
  
 

2005年12月13日(火)
 
寒波襲来
昨日の夜から降り始めた雪が、思ったより積もって、朝には一面真っ白になっていた。 
車のおねえさんが昨日出発してくれてよかった。 
青年は海野宿と白鳥神社をみて、上田から大阪行きの夜行バスで帰るという。 
雪の海野宿も味わいがあってさぞいいだろう。 
玄関の温度計が、一日中0度以下! 
 
夜、長野大学のドイツ語講座。 
今年は最後なので、ケーキとお茶を用意して、講義のあと座談。 
学校としての講座は夏前に終了しているのだが、先生の好意で無償で継続している。お礼に皆で図書券を贈呈する。 
先生の研究テーマである”グリム童話”の読み合わせをしている。 
やっと辞書を引いて意味だけなんとか繋げているだけで、3格だの4格だの、指示代名詞だのはさっぱりわからないが、普段耳にすることがない言語を聞くのが面白い。 
ドイツへ何回も行ったことがある人、これから行こうとしている人が何人もいて、気合が入っている。   
 

2005年12月12日(月)
 
青年は荒野をめざす
最近、はっきりした目的を持って旅をしている若者は少なくなっているが、昨日宿泊の二人は、それぞれ行くべき場所をはっきり決めてきていた。 
稲荷山の武水別(たけみずわけ)神社の祭礼を見たい青年と、会社をやめて車で屋久島めざしている女性と。 
女性が鶴岡の人で、父親の出身が鶴岡である夫とローカルな地名などでて話込んでいた。 
二人とも次のステージを目指して、会社を辞めたところらしい。 
県内あちこち雪が降り始めている。 
充分注意していく様に言って、お見送りした。 
青年は稲荷山から帰ってもう1泊する。 
 
写真は県YH協会50周年記念誌。 
  
 

2005年12月11日(日)
 
リンゴジュース作りB
12月らしい肌を刺すような寒さになってきた。 
今日のジュース作りは参加者は7名で、2班に分けるにはちょっと人数が足りず通してやる人も出てご苦労様だった。瓶も予定した人が持ってこなかったりで、出来上がったものをペットボトルに移し替えたりしてあたふたした。慌てたのか瓶2本も破損。 
完成品は103本。 
 
午後、30数年ぶりに訪ねてきた人があった。 
まだ菅平のYHにいた頃、お父さんの後輩が何人か遊びに来ていた。 
その一人が和歌山出身のSさん。がっちりした体格で背の大きな気のいい青年だった。 
早くも24歳で結婚して、幸せいっぱいの様子が伝わってきた。 
それが突然28歳で病のため他界。頑健そのものの彼からはとても信じられない思いだった。 
それ以後奥さんからは音信不通、こちらも日々の生活に追われて、思い出すこともまれになっていた。 
それが今日突然の訪問。 
「33回忌を済ませて、生前の夫との約束を果たそう」と訪れたという。 
S氏が常々、「斎藤さんが新しくYHを始める時には、卓球台をプレゼントしたい」と言っていたのだという。 
そして相当額のお金を差し出された。 
突然のことでもあるし、初めて聞く話でぼーっとしてしまった。 
辞退したのだが「亡夫の遺言ですので」という。 
 まほろばでは卓球台を置くスペースはないし、何かの形で志が生きるものを考えさせてもらうことにした。なんとも不思議な気分でいる。   
 

2005年12月10日(土)
 
ジュース作り前夜祭
明日はりんごジュース作り3回目、参加者が集って賑やかな夜になった。 
おまけにまほろば宿泊15泊目の岩瀬さんがいる。 
別所線の駅が15あることから、開所以来うちに15泊した人に、少々の記念の品を差し上げてお祝いするのが慣わしとなっている。 
このところ足繁く通う人も少なくなって久しぶりだが、323人目という驚くべき数になっている。 
彼が最初に来たのが昭和62年、かなり古くからのお馴染みさんということになる。ありがたい話である。 
折りよく50周年の記念品として配られたワインがあり、こういう時にと栓を抜いて乾杯!! 
おもたせのお菓子も色々出て宴たけなわ。   
 

2005年12月9日(金)
 
菅平高原スキー場オープン!!
今日は菅平高原スキー場がオープンだという。 
天然雪に頼っていた頃は年末に雪があるかどうかが悩みの種だったが、いまや降雪機が大活躍で気温さえ下がれば可能になる。今日はリフトも無料とか。 
ゲレンデで食堂をやっている友人が、全面的に可能ではないけれど、滑っている人もチラホラ見えると言っていた。 
あの♪菅平シーハイル♪は、今も流れているのだろうか。 
 
写真は、今朝の草太の散歩の時に見た菅平方面。 
根子岳・四阿山(ねこだけ・あずまやさん)の頂上は雲がかかっているが、雪がみえ、もう冬山の姿であった。 
今シーズンはまたクロカンスキーに何回か行くことになりそうで、楽しみでもある。問い合わせが来はじめている。 
クロカンのゲレンデとしては、菅平高原は適度な起伏があり景色もよく、抜群の好適地である。 
ぜひ体験していただきたい。(た)   
 

2005年12月8日(木)
 
熟年離婚
午前中小諸YHの古屋さんがみえた。50周年記念誌の資料をお貸ししていたものを、返しにみえたのだ。 
お互い閑というので、お茶を飲みながら四方山話をする。 
1大イベントが無事終わり、ホッとしたようで朗らかだった。 
ペアレント会会長として、ご苦労様でした 
 
テレビ番組「熟年離婚」が最終回。 
前回「戻ってきてもいいかしら?」と松坂慶子が言ったので、「何を言っているんだ!」と怒っていたのだが、奥様方から投書か電話が殺到したのか、新しい人生に向かって旅立つ・・・と言うところで終り。 
ああ、すっきりした。 
  
 

2005年12月7日(水)
 
野沢菜漬
昨日収穫してきた野沢菜の漬け込みをした。 
外の樽で洗うのは腰が痛くなりそうだったので、台所の流しでお湯を使って洗った。菜が小さく洗うのに手間取ったが、樽の直径にはまるで届かず、漬けるのは簡単だった。四斗樽に平に一杯はあった。 
最近流行のレシピ 
  野沢菜 40kg 
  塩   1、2kg 
  酢   1、8ℓ 
  醤油  1、8ℓ 
  砂糖  400g 
  野沢菜漬の素 1袋 
というのでやってみた。 
単純な塩だけのものも根強い人気なのではあるが、この醤油漬は出して時間を置いてもまずくなりにくい利点がある。塩だけのものは出して1時間もすると味が変わってくる。 
 写真は戸隠の横倉ユースの蔵を改装した喫茶店「十輪」。50周年の前夜祭をここで開催。 
長野市街から通う人もいるくらいコーヒーが美味しい。   
 

2005年12月6日(火)
 
天は二物を・・・
50周年のアトラクションで、フルート演奏をしてくれた桂さんと、ピアノ伴奏の女性。 
目の前で待機していたところをパチリ。 
オジサンオバサンばかりの中で、ひときわ若さが光っていた。とても美しく奥ゆかしく、何をしても許してしまいそう・・・ 
 
 さて、本日は陽がさしてきたので、念願の野沢菜採りに行く。 
エエッ?播いたのが遅かったのか大きくなっていない! 
40センチ丈。 
しかし、もう雪をかぶって凍っている部分もあり、全部を収穫。長靴の中の足先がジンジンと凍えてきた。 
不出来なほど可愛いというが、自分で作ったと思うと殊更いとおしい。3キロくらいの束で10束ほど。 
漬けるのは明日にした。   
 

2005年12月5日(月)
 
ほんとの初雪
この間の雪はホコリの様なものだったが、今日のは正真正銘の積雪。 
下へ降りてゆく道が真っ白になった。 
長〜い冬の始まりかと複雑な思いも。 
すぐに野沢菜漬は明日に延期と決定。 
お父さんは切り絵の会へ出かけ、私は溜まった新聞やゴミの整理をした。 
雪は日中には殆ど溶けたかに見えたが、夕方車で用事に来た人が坂の入り口で滑って登れず、そこまで荷物を取りに行くはめになった。 
  
 

2005年12月4日(日)
 
長野県YH協会50周年セレモニー
県庁前にあるホテル「国際21」で記念式典が行われた。 
式典にふさわしい立派な構えのホテルである。 
私は昨晩から泊りで参加。ペアレントの他、信州大学YHクラブのメンバーや普段事務局としてお世話してくれている県庁体育課の方々がスタッフとして協力してくれた。 
JYHからは家山理事長がお出でになった。(写真) 
グループ活動をしていた各地域のOBなど懐かしい面々も揃って、賑やかな会になった。これを機会にグループ活動再開なんていうことにもなりそうな勢いだった。 
 アトラクションとしてフルート演奏も行われた。 
桂さんという松本の奏者で、天は二物を与えたといった感じの美しい女性。 
”しーらないま〜ちを、あるいてみた〜い♪” 
と、心に染み入るような音色が流れてくると思わずじーんときてしまった。 
  
 

2005年12月3日(土)
 
初雪
雪が降ってきた〜、♪ほんの少しだけ〜ど、 
私の胸のな〜かに、積もりそ〜な雪だった〜♪、 
♪幸せをなくした〜、黒い心のな〜かに、 
冷たく〜さび〜しい、白い手〜がしのびよる〜♪  
という歌があったっけ。 
「白い想い出」というかつて流行った歌を思い浮かべられる方は少ないと思うが、ユースホステルの昔の歌集に載っている。ユースが歌声喫茶のような機能を発揮していた頃の話。あっ、歌声喫茶も知らない人が多いのか? 
今朝は朝から予報どおりに雪がちらつき、うっすらと白くなった。初雪である。ほんのおしるしではあるが。 
これは写真になると思っていたら、すぐに溶け始めてきた。 
例年必ずこの時期に1回降って見せて、慌てて皆がスタットレスに履き替えるというのが、お決まりのパターン。 
うちでは、用意よろしく替えたところなので余裕。 
今日は長野へ行くのだが、多分雪だろう。慣れない雪道注意していこう。(た)   
 

2005年12月2日(金)
 
民話探訪その2
川西公民館の民話探訪で、最後に行ったところが丸子町へ抜ける「砂原峠」の先だった。 
塩田のお城があったころというから鎌倉時代だと思うが、お城の若侍から求婚された奈良尾村の娘が、それを嫌って逃げだした。 
好きあった男と手を取り合って逃げる途中、砂原峠を越えてホッとしたところに、その若侍が追いついて、こっちへ来いと言う。娘は嫌がって好きな男にしがみつく。 
腹を立てた若侍は法力で石にしてやると、呪文をとなえて、抱き合った二人をそのまま石にしてしまった。 
それが写真の夫婦岩なのだという。 
800年もの間で風化したのか人間の体には見えないが、こんなところにこんな大きな石があるのも不思議である。 
石にされて可哀相という人もいるが、800年も抱き合ったままでいられるのは幸せではないか、という人も居る。(た)   
 

2005年12月1日(木)
 
今日から12月
うかうかと12月になってしまった。 
日中は小春日和の暖かさで、野沢菜採りをしている人の姿が見られる。 
4日に「長野県YH協会50周年」の記念式典があるので、3日から泊りで出かけなければならない。 
うちは、それが終って来週早々にやるつもりでいる。 
天気情報によると”雪”とか。 
お父さんが車のタイヤをスタットレスに替えた。 
 
先日の元ヒッピーさんからメールをいただいた。 
菅平へホステリングに来たのは、昭和52年だという。 
まほろばの開所が昭和56年なので、菅平最後の頃ということになる。まだ30代で元気があった頃で、懐かしい。 
ホステラーも多く、ヘルパーもいっぱいいて、何回か雪上運動会をやった。 
寒さ嫌いな私も、よくスキーをやったものだった。 
 
第2駐車場の隅に花壇を作成。もちろんお父さん。 
チューリップなどの球根を植えて、藁を被せて防寒もした。 
来春に期待しよう。   
2005年 12月
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12月 31日(土) 締め括りは風邪
12月 30日(金) 煙が昇れない?
12月 29日(木) 松の木の伐採
12月 28日(水) 年賀状書き終る
12月 27日(火) 御神渡り?
12月 26日(月) 上品なご婦人方
12月 25日(日) 語るに足る、ささやかな人生




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