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望三郎の地球宿づくり日記
信州安曇野で農的生活をしながらコミュニティ宿をやっている宿主望三郎の
宿づくりや夢の実現に向けて奮闘する様子を日記スタイルで紹介します。

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2011. 6. 30. Thu 野菜食
2011. 6. 29. Wed 田草取り
2011. 6. 22. Wed 親父来訪
2011. 6. 20. Mon わくわく避難ステイ、その5〜ママたちの出発〜
2011. 6. 19. Sun 父の日のプレゼント
2011. 6. 18. Sat ひかりプロジェクトイベント〜もっと輝かせよう!心も身体も魂も〜
2011. 6. 16. Thu 『つなげるつながる さくらプロジェクト』
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2011. 6. 16. Thu
      『つなげるつながる さくらプロジェクト』
福島県飯館村から来たゲスト2人。1人は3年ぐらい前に泊まりに来てくれた美枝子ちゃん。あれから3年、福島県飯館村で農業を営む義樹さんと出会い、結婚。2人は夫婦に。そしてこの3月に地震と原発事故。飯館村は計画避難区域となった。 
 
義樹さんは農家の18代目だそうだ。徳川将軍よりも歴史が長い。連綿と繋がる家族の命の歴史が刻まれた飯館村。先代のご両親は計画避難後も残って牛を飼い続けていると言う。若い2人は美枝子ちゃんが身篭っていることもあり、飯館を離れている。 
 
義樹さんが久々に実家に戻ったところ、農地の荒れが目に付いたという。農に生きる者にとって、土の上で生きれない、田畑が荒れるということは何よりも辛いことなのではないか。よそから来て、たった7年しか耕作していない僕でも、自分の田畑には愛着がある。そう簡単に止められない。いわんや18代も続く農地なら。 
 
義樹さんが言う。 
「自分の代では農業をやりに戻れないかもしれない。それでも19代目(お腹の子)や20代目がやれるように、今を頑張っていきたい。」 
そして、「そう思わないとやっていけない」とも。 
 
義樹さんの言葉がとても重かった。 
 
そんな義樹さん・美枝子ちゃん夫妻が、自分たちの暮らす飯館村の復興支援のプロジェクトを立ち上げた。 
その名も『つなげるつながる さくらプロジェクト』。 
自分たちの故郷に帰る日を思い描いた、彼らの思いをみんなに届けたい。 
 
以下2人の呼びかけ文より 
**************************** 
 
私たちは福島県飯舘村で農業を営んでいましたが、村が計画的避難地域になり村を離れざるをえなくなりました。 
3.11の後、北海道や千葉など数か所で飯舘村の状況や私たちの体験や気持ちなどをシェアする機会をいただいて、被災地から遠く離れたみなさんも自分の問題として真剣に考えたり、これからの暮らしの方向性などを話し合うきっかけになったという経験をしました。 
今回長野に来る機会があり、意識の高い安曇野のみなさんともそんな時間をもてたらなと思い、急ではありますが地球宿さんに声をかけさせていただきました。 
以下のようなプロジェクトのために私が撮りためていた飯舘村の風景の写真で作ったポストカードも持参します。よろしくお願いいたします。 
 
「つなげるつながる さくらプロジェクト」  
 
 3.11の大地震後起こった原発事故。私の住んでいた福島県飯舘村は30キロ圏外にも関わらず、高い濃度の放射姓物質が降り計画避難を余儀なくされました。特に私の住んでいた比曽地区は南部に位置し高い数値が検出されています。私の家は18代続く農家、ここで農業を中断してその後の推移を見ていく長くて苦しい状況が続いています。 
 
 そんな中、飯舘村の土地に生かされてきた私に何かできないかと考えるようになりました。今回の原発事故で個人個人がどう暮らし方を考えていくか、どう社会をリ・デザインしていくかということも同時に考えていくことが必要なのではないかと思っています。そうでなければ今事故で苦しんでいる人達の苦労が報われないと思います。事故後、何ヶ所かでお話しさせていただく中で同じ意識を持たれた方とつながる大切さを学びました。このポストカードで大切な方とエネルギーやこれからの事を価値共有して頂けたらと考えました。 
 
このプロジェクトの収益金は飯舘村比曽地区に桜を植える費用に使わせていただきたいと思います。比曽地区には桜が見られる場所がなく、いつも「集会所に植えたいね」と話していました。私たちの子どもや孫が桜を眺めながら安心して農業ができる日まで、思いをつなげていけたらと思います。ご協力をお願いいたします。 
 
菅野義樹 
 
 農業高校、農業大学を経て、自由学園の農場職員として持続可能な酪農を担当。その後長野県での木工修行、ニュージーランドでの持続可能な暮らし、畜産農業を学ぶ。実家に戻り放牧と自給乾草主体の畜産、食肉販売を行っていた所、原発事故に遭う。 
 
菅野美枝子 
 
 自然な暮らしに憧れ、北海道の畜産大学卒業後、イギリスで1年間WWOOF、宮城県の伝統的藍染修行とくりこま高原自然学校スタッフ、助産院等でのヨガの先生などの後、飯舘村に嫁いだが、今回の事故のため1年もしないうちに村を離れることに。天然酵母パンを焼いたり、自然の中でヨガをするのが好き。初めての子を11月に出産予定。 
 
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「つなげるつながる さくらプロジェクト」のポストカード(飯館村の酪農風景の写真ハガキ5枚セット500円)を地球宿でも販売しています。ぜひお買い求め下さい。 
 また同様にハガキを販売してくれる方を募集します。やってくれる方は菅野義樹さんまで連絡して下さい。→tunagaru-sakura@hotmail.co.jp
  
 

菅野さん御夫妻、鴨川にも来てくれたんですよ!
素敵なご夫婦でした。
私も、私のできることをやっています。
鴨川市大山支援村 http://hinansho.awanowa.jp/
miyata ..6/22 18:34(Wed)

>miyataさん

その節はどうもお世話になりました。こうして安曇野で全力でやっております。

菅野夫妻、鴨川に行ってきたと話してくれました。特に農家18代目の義樹さんの話はとても心に残りました。

安曇野市の隣の市の松本市市長菅谷さんは、元医者でチェルノブイリ事故後、現地で子どもたちの救援活動をしていた人です。その菅谷さんが「日本は原発事故の被災国であることを認めなければならない。」と言っていました。

原発事故があっても、どこか人ごと、あまりこれまでとも変わりの無い生活。被災しているんだ、ということをもっと強く自覚しなければならない、そしてそこから行動を起こさなければならないということなのでしょうか。
望三郎 ..6/24 21:19(Fri)

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