| 携帯用 | | RSS | | 検索 | | Home |


望三郎の地球宿づくり日記
信州安曇野で農的生活をしながらコミュニティ宿をやっている宿主望三郎の
宿づくりや夢の実現に向けて奮闘する様子を日記スタイルで紹介します。

・新しく返信機能をつけました。よろしければ感想などコメントしてください。
・NEW !マークは2週間以内に書かれたものです。
・写真はクリックすると大きくなります。
・安曇野地球宿プロジェクトのページへ
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 半農生活へ
にほんブログ村

2005. 8. 27. Sat 怪我をして思ったこと@
2005. 8. 22. Mon 悦子と光の関係
2005. 8. 20. Sat やってしまった
2005. 8. 18. Thu 田んぼ・畑・菜園概況
2005. 8. 15. Mon 地球宿を描く沖縄の旅I〜サラバ沖縄、のせてください悦子方面〜
2005. 8. 14. Sun 地球宿を描く沖縄の旅H〜安曇野地球宿を描く〜
2005. 8. 13. Sat 地球宿を描く沖縄の旅G〜宿めぐり、那覇へ〜
2005年 8月
SunMonTueWedThu FriSat
- 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - -

 

2005. 8. 12. Fri
      地球宿を描く沖縄の旅F〜基地問題、今帰仁の結家にて〜
 海と風の宿の宿泊客にはある目的をもった人たちがいた。それは宿から20分ほどの辺野古の沖合いで進められようとしている米軍の海上ヘリ基地建設の反対運動をしている人たちが、長期に渡って滞在しているのだ。彼らは毎朝宿から車で20分ほど離れたところにある反対運動者が展開する座り込みテントに出かけて行っていた。 
 海と風の宿の成田さんも、今は挫折して止めたというが、かつて反対運動に積極的に関わっていたらしい。座り込みテントから最も近くにある安宿なので、反対運動に関わる座り込みボランティアが利用しているらしく、この日も半年ぐらい滞在しているおじさんと東京から来た若い男女が1人づついて、座り込みに行くという。 
 辺野古の基地建設問題は、新聞やテレビで読んだことがあるだけで、長年続く沖縄の基地問題の一つという認識しかなかった。前日の伊江島の平和資料館で案内してくれた人が、僕が南部戦跡を巡る予定だと伝えると、「過去の戦跡もあるが、現在の沖縄の問題についても知ってほしい。ぜひ辺野古に行ってみてほしい。」と言われていた。自分の目で見てみたいと思い、僕も同行させてもらうことにした。 
 
 テントに着くと既に20人近くの人たちがいた。今日から建設業者が盆休みということで、海上に出て作業妨害の座り込みをする必要はないが、いつもはボートやカヌーなどで沖合いに出て、海上にあるボーリング調査用櫓に人柱として座り込みをしているという。しばらくして世話人の大西さんが現況や座り込みの意味について説明をしてくれた。(辺野古基地問題についてはここでは詳細を省く。) 
 午前中だけ座り込み、テントを後にした。辺野古から乗せてもらった方は地元の方だった。この問題について聞いてみる。 
 「名護は沖縄の他の地域と違って、基地を誘致したところなんだよね。基地を受け入れることで、街づくりをしていこうということを選択したんだ。だから建設賛成の人もたくさんいる。あの座り込みテントにしても地元の人たちは少数だよ。それよりも他所から来た人が大手を振って我が物顔で街を徘徊する。そのことに嫌気を覚える人も多い。」とのこと。これはあくまでもその人の意見だ。名護の人たちが基地との共生を本当に選択したのかどうか、またどのような中身で選択したのかは分からない。 
 戦争も基地も無い方がいい。その一方で厳然として存在する米軍基地。今のように米国に依存し切ってしまった現状がある。それは軍備だけでない、食料だって自給率が四割を切るのがこの日本という国だ。自国以外に頼らなくてもいい、とハッキリと言えるように、食料自給率を高めていかなければならない。では軍備は・・・どうする?自国の軍隊を持つのか。NOだ。武器を持たず争わない国だということを主張しその理念で国を守る。これでいけないのだろうか。 
 難しい問題を日本はいまだ解決できないままでいる。どこにその糸口があるのか。 
 
 午後からは西海岸に移動。初体験のダイビングをする。海に潜るのは初めてで楽しみにしていた。装備をつけて、ロープにそって少しづつ降りていく。その時、耳がムチャクチャ痛くなり、パニックになる。浅瀬で練習したこともぶっ飛んでいた。まだ泳げなかった小さい頃に溺れた時の感触を思い出す。「もういいです。船に上がります。」と言おうとしたけど、海の中なので伝えられない。そうこうするうちに、耳抜きがうまくいって慣れてきた。 
 海中から見る魚の群れはきれいだった。魚の数が多いのか少ないのかは知らん。ただ、白い珊瑚や色のついた熱帯魚、縞々のウミヘビなど、手を伸ばしたら触れられる。ガラス越しに眺める水族館のそれとは違った。悦子や風にも体験させてあげたいなあ。喜ぶ顔が見たいなあ。そんなことを水中で思った。 
 
 ダイビング後、再び本部半島へと向かった。行程としては戻ることになるが、どうしても行きたい宿があったのだ。今帰仁(なきじん)にある『結家(むすびや)』だ。安曇野で計画を立てている時は、5日間の宿泊の対象にはなっていなかった。しかし沖縄に来て泊まった宿で、僕が宿の勉強で宿巡りをしていることを伝えると、「望さん、そりゃ結家だよ。そこの女将さんがすっごく良くてさ〜。」と言われることが2回あった。 
 そりゃ行くしなかいだろうと思い、昨日電話をして、泊まりたい旨を伝えたのだが、お盆明けまで満室ということで断られた。それでも諦めきれず、今日の午前中にもう一度電話をして、今度は女将に直訴してみた。「もうしばらくは沖縄にこれない。みんなが良いという宿をどうしても体験してみたい。玄関でもローカでもいいから泊めてほしい。」電話口の向こうで、「そんなに言ってくれるん?嬉しいなあ。」と言って、どうにか段取りをつけてもらい、どうぞ来てくださいということになった。 
 宿への道中で乗せてくれた人も、安宿経営者だった。結家に向かうことを伝えると、「そりゃいい。僕も世話になってるよ。」と言う。同業者が薦める宿っていったい? 
 着いてみるとスタッフのマイちゃんが「望三郎さんですね。」と笑顔で出迎えてくれる。ここではニックネームで呼び合っているらしく、僕は「望さん」にしてもらう。そして女将の「ゆいねえ」が現れる。無理を言って申し訳ない旨を伝えると、「熱心に言ってくれたしな。それに望三郎って言うから、どんな人か会ってみたいやん。」と嬉しいことを言ってくれる。大阪出身、元サーカスの旅芸人が巡業先の沖縄を気に入って住み着いたという。 
 宿のロケーションはたぶん日本一じゃないかと思うぐらい最高だった。すぐ目の前が海。赤い夕日が落ちかけていた。プライベートビーチのような海岸があり、遠浅透明。この夏一番きれいな海だった。岩場を潜ってみるとウニがたくさんついていた。すんごい、こんなところがあるんだ。しばらく泳いだりもぐったりしながら夕焼けを見ていた。 
  
 夕食作りは楽しかった。厨房で各自がやいのやいのと作る。ここではそれぞれが自分の食べる分を作るという考え方ではない。一人ひとりが一品作って、それを持ち寄って食べようというのだ。これなら10人いれば10品揃った夕食となる。ゆいねえが「料理が苦手な人は、上手そうな人に声かけて、お願いするねん。」と笑ってアドバイスをくれる。その夜の食事は、地元の漁師さんと一緒に海に出かけもらってきたという魚や炊き込みご飯、海で採ってきたウニなど今回最もバラエティーだった。極めつけはゆいねえの食事の挨拶。「はいそれじゃあうちの子たち、みんな一緒にいただきます。」皿を回しあいながら食べる食事は美味しかった。 
 今晩の結家には旅人だけでなく、那覇で宿をやっているという人たちも来ていた。ゆいねえは「うちは他の宿主さんとも仲良くやってるんよなあ。」と言う。ロケーションも最高、宿の雰囲気もいいので、彼らも憩いに来たり、参考にしに来るようだった。僕にしてみれば、いろんな宿主と話しができることになった。その後、地元の若い兄ちゃんたちもやってきた。彼らもゆいねえと呼んでいる。  
 
 「今日は流星群の夜やから一杯見れるで〜」とゆいねえがいい、みんなで浜辺に下りて、ゴザをしいて寝転がって星を見た。この夜の流れ星はすごかった。間違いなく今まで見た夜空の中で一番きれいで一番流れた。流れた線がくっきりと明るく残るのは初めてだ。100個まで数えて数えるのをやめた。星空を眺めながら、ゆいねえの宿の話を聞く。僕の宿の話をする。いつしか宿の話から、こんな僕を送り出してくれた悦子や子どもの話をみんなに熱く語ってしまっていた。 
 沖縄に来て良かったなあと思った。
  
 

>> 返信

<<BACK 11日 地球宿を描く沖縄の旅E〜名護の海と風の宿〜

NEXT>> 13日 地球宿を描く沖縄の旅G〜宿めぐり、那覇へ〜


 

++ Powered By 21style ++